訪問を歓迎します! Please step in! Copyright(C) 中山イーフォト (Nakayama e-photo) All Rights Reserved. Since September 27, 2004 〜 2018 (無断複写転載禁止) |
1:中山イーフォトとは | 2:全国フォト・キャラバン入門 | 3:四国88ヶ所巡礼 | 4:ギター音楽とオーディオ | 5:リンク集 |
試聴装置のポンコツ・スピーカー | |
ギター音楽とオーディオ : ここは、フラメンコ・ギターとクラシック・ギター を中心とした、原則、手持ちのLP、EP、CD、スーパーオーディオCD、音楽カセットテープ、エアーチェック・カセットテープ、テレビ放送等のデータを視聴した範囲の、小生の「独断と偏見」に満ちた「つぶやき」の場です。 なお、オーディオについては、ギター音楽等の付随として若干触れますが、上図の試聴装置は約40年前に購入した劇場用のスピーカーで、ボーナスを全部はたいても足りなかった位、自分にとっては高級なスピーカーでした。 今ではポンコツ・スピーカーな風采ながらも、現役装置に引けを取らないくらい立派な?アナログスピーカー装置だと勝手に思っています。(現在、このスピーカーは製造されていませんし、時代の流れ?からか、製造会社の業態も変わってしまっています。) と言いつつも、最新のデジタル音楽試聴装置を超えるぞ!、と異論を挟むものではありません。のでむしろ、その辺はおまかせしますです。老兵の風采は衰えれども、紡ぎ出す音の引き出しの豊かさと深さは、いまだに潤沢で健在です。 ”衰え知らずのシルバ−老兵”、ここにありです。 |
(1)フラメンコ・ギター |
1967年生まれの、Vicente Amigo ビセンテ・アミーゴCD(魂の窓)との出逢い | ||
職場の仲間が病気で入院中、入院見舞い品として、標題のCDを持って行ったことがありました。私同様、彼もフラメンコ・ギターが好きだったからです。 新宿の紀伊国屋書店で、パコ・デ・ルシアと互角の演奏の出来るとの評判の、ビセンテ・アミーゴのCDを買い差し入れました。併せて自分用としても同じCDを購入しています。今では、愛車のカーオーディオで聴きながら、車のハンドルさばきのリズムにしています。不思議なほどに、きびきびとした運転ができ、今ではドライブの必需品です。 更に、音量を上げて聴くと、睡魔がすっ飛びます。無論、パイオニア・カーオーステレオの高性能なお陰もありますが、まばたきよりも早いパッセージな曲にも関わらず、ミスタッチやセーハーの不正確さから出るビビリ音もほとんどなく、一音一音の粒立ちが明瞭鮮明に聞き取れるので、清潔感と爽やか感が濃密です。この面でのテクニックは、小生は無論?のこと、既にパコ・デ・ルシアを越えていると思います。特に、3番の「魂の窓」は、CDのタイトルに掲げているだけあって大変良く仕上がっています。 独演では、最終曲8番の「水の山脈」が1番輝いており、聞き終わってから、その見事な演奏に思わずため息が出るくらいです。なお、一枚のCDには、全部で8曲収録されていますが、普通は全曲お気に入りとはならないのに、このCDは、全曲がお気に入りとなった、自分にとっては珍しいCDです。 たかが2345円で、いつでも、我がオーディオ装置により、濃厚・濃密な音楽が堪能できることは、誠に幸せと言うべきであります。さらに、そばに好きなお酒があれば、これ以上の贅沢はありません。 また、幾度聴いても飽きが来ない「あっぱれなフラメンコ・ギターリスト」の登場とでも言えるでしょう。但し、1947年生まれのパコ・デ・ルシアの場合は、彼の演奏から、彼自身の人生観が滲み出てくる音楽性と芸術性とを感じます。これに対して、1967年生まれのビセンテ・アミーゴの場合は、20歳若い歳の差ゆえか、テクニックでパコを凌駕していたとしても、人生観や音楽性や芸術性の深い味わいがにじみ出てはいないと感じられるのです。ここら辺が大変面白いところです。しかし、今後の成長が大変楽しみなギターリストであることは間違いないと思っています。 インターネットで”ビセンテ・アミーゴ”と検索すれば、スペイン公式サイトで、彼の弦さばきの一部を動画で見ることが出来ます。動画を見ながら彼の音楽を聴くと、ギターを手にしたことのない方でも、その魅力に引き込まれることでしょう。 次回は、老境に?に入った、パコ・デ・ルシアを予定しています。 |
項 目 | 更新日 | |||
ギター音楽 | ||||
1 | まえがき (資料) | 2005.07.31 07.09.01加筆更新 | ||
ギターブーム | 2005.07.31 07.02.25加筆更新 | |||
ギター関係の資料(1) | 2005.07.31 | |||
私のギター音楽 | 2005.08.31 | |||
2 | アンドレス・セゴビア名誉博士号授与式演奏会でのハプニング! | 2005.08.31 08.06.21加筆更新 | ||
3 | アンドレス・セゴビア、ハプニング!その後 | 2005.10.01 08.06.21加筆更新 | ||
4 | グラナダのギター制作者ヘルマンペレと、故マニュエル・カーノとの出逢い | 2006.02.26 08.04.25加筆更新 | ||
5 | ギター文化館・訪問記 | 2006.09.30 08.04.25加筆更新 | ||
6 | ギターリスト永井さんと、32年ぶりの再会でグラナダが蘇る! | 2006.12.01 08.04.25加筆更新 | ||
7 | 吉川二郎さんのギター音楽サロン | 2007.01.01 | ||
8 | 村治昇ギター教室の生徒としての想い出(予定) | 2008.06.28 | ||
オーディオルーム | 2007.09.01 08.06.18加筆更新 | |||
A | 仕事部屋兼用オーディオルーム | 2008.10.31 | ||
B | 自作 |
*クラシックギター音楽をパソコンで聴きたい方は、シグマーギター教室(ここを)クリックし、好きな曲を選んで聞いてみましょう。 1、まえがき: 感想などは→ |
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私自身が体験した、イギリスのオックスフォード大学シェルドニアンシアター(Sheldonian Theatre)で、ギター音楽界の大御所であった、故・アンドレス・セゴビアのハプニング演奏体験を紹介し、順次、現代ギター音楽の世界に向かいます。その他、好きな音楽全般と、オーディオ装置にも触れる予定です。 このサイトのソースは、40年余に及ぶギター音楽の視聴と収集資料、および、オーディオライフ体験に基づいて、私の独断と偏見?で構成するサイトです。 是非、ギターを懐にいだき、弦をつまびかせながらギター音楽の良さと、オーディオ音楽の楽しさの一端を味わってみて下さい。 |
ソ ー ス | 数 量 等 | |
1 | 所有のギター音楽関係のLPレコード(洋盤・邦盤) | 約700枚 |
2 | 所有のギター音楽関係のCD(コンパクトディスク、スーパーオーディオ) | 約350枚 |
3 | FMエアーチェック・ギター音楽関係のカセットテープ | 約200本 |
4 | オックスフォード大学名誉博士号授与記念演奏会に於ける、ギター界の大御所、故・アンドレス・セゴビアのギター演奏中のハプニング風景と、その周辺の記録 | 当日配布されたプログラムなど |
5 | スペインのグラダナで出会った、フラメンコギターリスト兼ギターコレクター故・マニュエル・カーノと、その周辺の記録 (死後、彼のギターコレクションが、茨城県八郷町の「ギター文化館」へ寄贈されました。) |
画像多数 |
6 | ギター音楽関係の参考文献 | 多数 |
7 | トヨタのTVコマーシャルなどでおなじみの女流ギターリスト「村治佳織」さんのお父さんが開く、「村治昇ギター教室」に、自分自身が数ヶ月通った時の想い出。 | 当時の資料 |
8 |
オーディオルーム | |||
現在、60歳代前後の方であれば、真空管アンプの暖かい音色を楽しんだり、スピーカーの自作や、生録音に没頭したりした経験者がおられると思います。そのためにオーディオ雑誌を読みあさったり、ハンダごてや工作道具を買い揃え、いろんな挑戦をされたことと思います。私自身も、その一員でした。 長いオーディオ歴を振り返ると、色んな想い出の機材が私の手元から、くたびれて過ぎ去って行きました。現有機材は以下の通りですが、既に、老体故に、あちら、こちらから「きしみ」が聞こえてきます。 |
オーディオ装置とメーカー名 | メーカー型番 | 装置の概要 | |
1 | プリメインアンプ・_マランツ | PM−14SA | ダンピングファクター値が高いので、アルテックのスピーカー(SP)が生きてきます。本体重量も25KGととても重いです。 |
2 | スピーカー・_アルテックランシング | A7−500−8 (米国産ボックス) |
1970年代の劇場用のSPで、エンクロージャ(箱)には、国産と米国産の二種類がありました。 評価は、後者の米国産の方が高く、今でも中古市場で時々高額で取引されています。 遺言:見てくれは粗雑で悪いが、SPの力量は最高だから捨ててはならない。最後まで、使い倒せ!です。 |
3 | レコードプレーヤー・_テクニクス | SL−1200MK3D | このプレーヤーは、MM、MCレコード針対応です。使用中は、振動・共振を避けるためカバーを取り外して使っています。 |
4 | レコード針:MM・_SHURE | V15typeV、他 | めりはりをしっかり出してくれる針ながら、交換針の値が高いのが唯一の悩みの種です。 |
5 | レコード針:MC・_オーディオテクニカ | AT33EMC、他 | トレース能力が高く、リボンツイーターが欲しくなります。 |
6 | FM・AMステレオチューナー・_ラックス | T−300 | 今時、AMやFMでもあるまい?と思われそうですが、ラジオは静かなブームです。通常はラジカセの、ながら聴きです。 今では、外枠の木製の造りの良さと、2段回に切り換え可能なイルミネーションから、電源を入れるだけで、オーディオルームの芸術品?になります。 オーディオは、聴くだけでなく、名品を見て楽しむことも大切です。 |
7 | スーパーオーディオCDプレーヤー・_ソニー | SCD−555ES | 購入当時のCDプレーヤーとしては、超重量級15KGのプレーヤーでした。欠点は、リモコンでCD取り出し不可なことくらい。最近、CDの出し入れが緩慢になりました。開閉ダンパーの劣化?が出てきたようです。 |
8 | ステレオカセットウオークマン・_ソニー | WM−D6C | 1984年当時のプロ仕様の最高級機です。今まで、一度だけ修理に出しましたが、未だ現役の実力機です。古いが、後生大事に使っています。自分の宝物! |
9 | ステレオカセットダブルデッキ・_ソニー | TC−WR870 | 多機能で、未だ一度も故障しません。カセットデッキが生産終了のため、メンテナンスをしっかりしています。(残念ながら、過日、電源が壊れてしまいました。) |
10 | ポータブルミニディスクレコーダー・_ソニー | MZ−R4ST | 別名、MDステーションと言われ、すっかり気に入り、職場と自宅用に2セット購入したほど愛用しています。 |
11 | ビデオオーディオセレクター・_ソニー | SB−V550 | 各種AV機材を有機的多目的に活用するため、今でも現役ばりばりで活躍中です。 |
12 |
仕事部屋兼用オーディオルーム | 各種機器 |
往年の名スピーカー、老いて益々元気なり? | オーディオシステム |
●アルテック・ランシング・スピーカー A7−500−8 仕事部屋に鎮座まします愛用の劇場用スピーカー。米国産純正ボックスのA7-500-8です。 ●40年余もの長期間、我が子供達のボール投げなどで傷つけられたりしながらも、今日までよく耐えてきました。今度は、孫達がこのスピーカーを遊び道具として狙って?います。 不在にする時は、ベニヤ板を被せて防衛しています。なお、当時購入したカセットデッキや、オープンデッキ、レコードプレーヤーなどは、すべて壊れて処分しました。今日まで現存しているのはこのスピーカーと、ラックスのFM・AMチューナーだけです。スピーカーは、アメリカ生まれの荒っぽいスピーカーでしたが、今ではエージングも完成し、味のある音楽を引き出してくれる名スピーカーとして健在です。 ●能率が非常に高く、歯切れも良い、音の抜けも抜群です。体に伝わる低音の魅力も心底しびれます。 ロック歌手のジャニス・ジョップリンが歌う『ミー・アンド・ボビー・マギー』を聴くのに一番?いいスピーカーです。特に、グラスを片手にしながら聞くと最高の雰囲気が味わえ、もっと長生きしたいという思いを強くさせます。 ●ボーナスを全部はたいて買っただけの価値あるスピーカーでした。 なお、このスピーカーは、現在生産終了品で中古でしか入手できません。中古ながらも、かなり高額で取引されています。 |
●オカムラ製オーディオ・システムラック 写真上段から、 1)ソニー製ダブルカセットデッキ 2)ラックス製AM・FMチューナー 3)テクニクス製レコードプレーヤー 4)ソニー製MDステーション 5)ソニー製スーパーオーディオCDプレーヤー 6)マランツ製プリメインアンプです。 ●オーディオ・システムラックの耐荷重に対して、全体の重量が重過ぎるためと、地震対策上から、プリメインアンプのみ直接台座付床置きにしています。それでも、震度7クラス以上の地震が発生した場合は、このシステムは壊れると思っています。 ●写真のように、天気さえ良ければ、ベランダ側(裏側)から各種器機の配線が簡単に変更できるメリットは大です。 一般的に、オーディオ機器は大変重いので、配線の変更や、新設、組み替えの場合は、大変難儀する作業です。ベランダ側設置が一番楽です。但し、冬場や雨の日の作業は不可です。 オーディオ器機の近くには、愛飲の銘酒・幻?の日本酒「花泉」などが居座っています。 |
購入当時の資料:写真 | |
ギターブーム: |
お断り:このサイトで扱うギターは、「フラメンコギター」と「クラシックギター」のみです。ロックギター、エレキギターは、小生の守備範囲外です。悪しからず。 このページのトップに戻る |
1970(昭和45)年頃から、クラシックギター音楽にブームが起こり、当時のNHK教育テレビ番組でも「ギター教室」が長期に渡り繰り返し放送されました。多彩な講師も次々と登場しました。番組内容も年々色々工夫が加えられながら、長寿番組として定着して行きました。また、全国のあちこちに、某団体が運営するギター教室が沢山誕生しました。 ギター音楽関連の参考書も数多く出版され、自分の書棚を飾りました。中でも、月刊雑誌、「現代ギター」は、内容の質が高く、毎号巻末に楽譜が添付される貴重な月刊誌でした。捨てがたく今でも本棚に鎮座しているくらいです。 |
NHKのこの番組が、それなりにギター人口を増やしてきた功績は大きかったと思っています。しかしながら、ギター教室講座が最近開催されなくなって久しいことです。その理由は、関係者でないからよく分かりませんが再開を心から期待したいものです。 その他、フラメンコを含むクラシックギター音楽のことが、マスコミで賑やかに報道されなくなっていることも淋しいことです。かつては1975年に、ピアニストのホロビッツや(NHKの予約録画1983年6月12日所有)、1985年ショパン・ピアノコンクールで優勝した、ロシアのピアニスト・ブーニンの登場で、ピアノブームが起こり、ピアノ人口を増加させたことが記憶に新しく蘇ります。 ギター音楽の世界でも同じようなギタリストの登場現象がありました。スペインのフラメンコギタリストのパコデルシアの登場がそれに該当すると思います。誠に熱狂的でした。その後、主観的に見てパコデルシアを超え、世の中を賑わすギターリストの登場はなかったように思います。 それに近い現象としては、ビセンテ・アミーゴ、福田進一等の活動が賑やかです。が、熱狂度では、パコには及ばないと個人的に思っています。今後に期待が寄せられている、若手ギタリストの「木村大」、「押尾コータロー」、「沖仁」等の活動も賑やかで、楽しみにしているところです。 |
今後のこと: |
自分自身のギターつま弾き歴は、40年余の長きに及びます。長くギターを手にした割には、一向に上達していません。その理由は単純です。練習をしなかったから上達しなかったことと、才能がなかったからです。そのような訳で、未だに入門編の域を出ませんが、下手の横好きで、今後もマイギターを手にして練習をしたり、所有のレコード、CD演奏を所有のオーディオで堪能したいと思っています。なお、手前みそながら、聞く耳は、批評家に優とも劣らぬくらい豊かになっていると自負しています。 このサイトでは、ささやかながら、ギター音楽をはじめ、その他の音楽の良さを見直すきっかけが生まれることを願いながら、不定期に少しずつ紹介をして行きます。 |
●ギター関係の資料(1) (写真をクリックすると拡大でみることができます。) |
左の写真:生まれて初めて購入した、月刊雑誌「現代ギター」1968(昭和43)年12月号の表紙写真です。リュートを手にしているのは、ドイツ人のギターリスト兼ギターコレクターとしても有名な、カールシャイトです。 「現代ギター」創刊1年半後に購入した月刊雑誌で、現在の日本のギター界を最もよく代表する出版社だと思っています。当時、250円でしたが、現在は、1260円になっています。 私がギターを始めたのも、「現代ギター」の創刊直後でした。当初は、恐ろしく真面目でしたので、定期購読を長期間続けました。巻末に添付されていたギター関係の楽譜等は大変貴重なため、未だに捨てがたく、私の本棚を占拠?しています。 古希を過ぎた今、読み返して見てもその価値は高まることはあっても、低下することはないと思っています。 現代ギター社のホームページは、ここをクリックしてください。 |
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左の写真:1972年4月から9月までの、当時のNHK教育TV用の市販テキストです。 私が所有する、数十冊あるNHKのギター教室テキストの中で、最も古いテキストです。講師は、京本輔矩氏で、この時が連続3回目の講師として担当されることが記されています。NHKに確認はしておりませんが、逆算すれば、1970年頃が放送開始初年度であろうと思われます。つまり、私の想像が正しければ、上記の「現代ギター」の創刊後、まもなく全国ネットワークでギター教室の講座をオープンしたと思え、両者の不思議な偶然の連携を覚えます。 私もその番組を見てギターを手にするようになり、今日に至っていますので、放送が与えた影響は、誠に大きいと言わざるを得ません。 このページのトップに戻る |
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2:アンドレス・セゴビア「名誉博士号授与記念演奏会」でのハプニング! 2005.08.31 | |
アンドレス・セゴビア(1893ー1987:スペイン)とは: ギターリストで、アンドレス・セゴビアを知らない人は、俗に言う「もぐり」と言えるでしょう。そのくらい彼が遺した、また果たしたギター界への貢献は大きくて果てしないのです。日本人のプロのギターリストで、程度の差こそあれ、彼の指導や影響を受けなかったギターリストは皆無に近いと思います。 例えば、セゴビア編曲の楽譜が多いので、好むと好まざるとに関わらず、プロのギターリスト達の場合、彼を避けては通れないでしょう。ことほど左様に、彼が遺した業績が偉大なため、今後誕生するであろう若いギターリスト達にも同様の影響を与え続けて行くことは間違いないと思います。 つまり、日本のギター界に限らず、世界的にも同じことが言えます。その業績等を細やかに述べるスペースの余裕はありませんが、オックスフォード大学が、彼の業績・貢献度の事実関係を高く評価し、「名誉博士号(Degree of Doctor of Music)」を授与した事実からも、彼の業績・貢献度と存在がいかに大きかったかが容易に理解ができようかと思います。 |
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その名誉博士号授与記念の演奏会のチケットが購入でき、オックスフォード大学のシェルドニアンシアター(Sheldonian Theatre)に聴きに行くことができました。 以下の写真は、その時の記録として、当日のプログラムと、録音カセットテープです。プログラムに貼り付けた入場券(プログラムの左下)の印刷を辿ると、演奏日は1974年10月19日午後8時となっており、生誕年から試算しますと、彼が81歳の時の演奏となります。つまり、円熟期を通り越して達観の境地にあったと言えると思います。 入場料は2階席で1ポンドで、プログラム代金が10ペンスでした。(当時の為替レイトで、1ポンド710円前後?) 注:写真をクリックしてください。拡大で見ることができます。 |
プログラム・表 | セゴビア自画像 | 説明文 | 録音カセット |
滞英中の私の日常生活のスタイルは、常にソニーの小型カセットテープレコーダー(型番CT1000B?文庫本サイズ)を持ち歩いて外出していました。例えば、マーケットでの買い物のやり取りや、パブでの会話や、出掛けたあらゆる先々での自分を含む、色々な階層の現地人との日常会話や、音の風景などを録音し、後で再生して研究材料としたものでした。 その生活スタイルが効を奏したのか、セゴビアのハプニング演奏も、たまたま録音をしていました。今ではこのカセットテープは、私のギターに関する貴重な宝物?と言えます。40数年前の当時は、今ほど著作権や持ち物検査が厳しくない時代でしたから、入場の際の持ち物検査はなかったし、10ペンスで購入したパンフレット(上図写真)のどこにも、禁止事項の文言は印刷されていません。 もっとも、ローノイズC120分テープで離れて録音していますから、それで音楽を鑑賞することはほとんど不可能です。また40数年も前に録音したテープC120を再生することは、大変慎重にならざるを得ません。その理由は、テープの厚みが極端に薄いことと、テープ両端の接着剤が劣化していることが容易に予測でき、テープの剥離や断裂の恐れがあります。 巻き戻し速度が徐々に減衰する機能が内蔵された、高級なカセットテープレコーダーでなけば使用できません。そんな高級なカセットデッキは最早製造も販売もされていません?困った世の中になったものです。 とにかく、今でもその時の雰囲気を味わえるテープだと思っています。81歳になるセゴビア本人の生の演奏が聴けたことは、自分のギターライフの中では、エポックメイキングな出来事でした。 |
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演奏会のセレモニーは、形通りの大学のお偉いさんのお話とセゴビアの紹介が厳かに行われ、正装したセゴビアが起立してそれに応えていました。セゴビアの側には、若くて美しい奥さんがいました。それは、恰もイタリア人女優のジーナ・ロロブリジータを少しスリムにした、優しそうな感じの女性でした。ジーナ・ロロブリジータなんか知らなーい?という人が多いかもしれませんが、高級な?ふかふかした毛皮のコートを全身に纏ったまま笑みを蓄えながら着座していました。 その雰囲気と言うか、風貌からはしっとりとした気品が溢れていました。それに反して、正装したセゴビアは、かなり肥満気味のギラギラした金持ち老ギターリストに見え、好対照でした。そんな光景が今でも脳裏に焼き付いて残っています。 次に演奏のため、セゴビアが少し腰を上げた瞬間、場内から割れんばかりの拍手がわき起こりました。演奏用の椅子に進み着座した瞬間に、その拍手は申し合わせていたかのようにビタッと止まり、静寂が数分間シェルドニアン会場を覆いました。セゴビアは、周囲の雰囲気をじっと噛みしめつつ、かつ周囲のまなざしをギターに集中させるかのように「間」を計っていました。まさしく、演奏開始の瞬間の「時」を計っているのでした。 愛用のギター、イグナシオフレータを抱いたセゴビアは、ギターの神様のオーラーが彷彿していたように記憶しています。このフレータのことは、プログラムでも明記されていましたので、実際に演奏で使用されたことは間違いありません。が、なにしろ2階席ですから、望遠鏡でもない限り正確な確認はできません。 フレータのギターのことは、バイオリンで例えれば、ストラデバリウスと同じくらい?名声が高いギターです。その愛用のイグナシオ・フレータ(名器)のギターを手にしたセゴビアは、形通りの調弦をハーモニックスなどを使い小さく静かに行いました。確認が終わったかと思った瞬間、アダージョ&コーレンタ(Weis作)の演奏を静かにつま弾きはじめました。 二階席のためか、ギターの音が少し小さく聞こえました。が、段々と調子が上がるに従い、それなりによく聞こえてくるようになりました。さすがは、フレータが醸し出す遠達感だと一人密かに思ったものでした。 着席姿勢が、段々と身を乗り出すような姿勢に、自分の体が自然に前のめりになってきました。それは、私だけではありませんで、居合わせた周りのイギリス人も同じように、体を前に乗り出してきました。その姿勢の崩れ様は、誰も止めようがありませんでした。 |
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第一曲の序盤(プログラムによると、Adagio and Corrente S.L.Weis(1686−175))がやや進んだところで、突然演奏が止まりました。聴衆は一瞬つんのめってしまいました。全員固唾をのんでセゴビアを注視しました。 セゴビアは、左手でギターの竿を抱え、大きな右手はサウンドホールに垂らしたまま身動きしません。そんな状態が数十秒流れました。(少なくともそんな気がしました) セゴビアに何が起こったのか?これは事件だ!と直感しました。
私のギター音楽に対する考えは、目が多少不自由でも、耳と両手が健常であれば、ギターを生涯の友にすることができる世界だと思っています。そして、常にギター音楽に関心を持ち、たゆまぬ練習と努力を重ね(実はここが難しい?)、ギター音楽を心の糧としながら、日常生活にギター音楽を導入することが大切だと思います。それは、ギター音楽を聴きに行ったり、ギターを弾いたり、ギター教室に通ったりしながら、ギター音楽について語らうことで一層豊かなギター音楽が楽しめると思います。 プロフェッショナルなギターリスト以外は、ギター演奏の上手、下手にあまり拘り過ぎないようにしたいものです。大切なことは、気長にギター音楽を楽しむ気持ちを持ち、少しずつレパートリー(弾くことと、聴くこと)を広げ、ギター音楽の豊かさを確かめ深めて行くことだと思います。 また、ギターは、ピアノなどと違い、手頃な値段で買えることです。そして、上手・下手は別として、その日の内にすぐ弾けるようになれます。しかも安いギターでも、そこそこに楽しめる良さは、他の弦楽器は真似できないところです。 私の場合、当時(1970年代)ギター音楽に取り憑?かれていましたので、見聞欲は限りなく、ギターに対する熱意がありました。例えば、セゴビアって何者なのか、ギターはどこから来たのか、日本に於けるギター音楽はどうなっているのかとか、ギター音楽をもっともっと聴きたい、参考文献を沢山読みたい、はたまた職場に於けるギター愛好者との連携を探ったりもしました。その結果、結構身近に愛好者がいることが分かり、お互いに交流をはじめたものでした。 中には、当時、河野賢の最高級(20万円、当時は、これ以上の高級な国産手工ギターはありませんでした。)手作りギターを所有する先輩がおられて、わざわざ職場に持ち込んでもらい、演奏を聴かせて貰いました。 演奏はお世辞にも上手とは言えませんでしたが、音色はとても柔らかかったことを今でも懐かしく想い出します。演奏後、ギターをケースに格納する時の先輩の手つきは、恋人に優しく触るかのごとく静かにしまわれていたことを昨日の出来事のように想い出します。残念なことに、その先輩は在職中に病魔に襲われ亡くなられました。その後、河野のギターがどうなったかは確認をしていません。合掌。 とにかくギター音楽をちょっと聴いてみたいと思われる方は、次のサイトでしばらく楽しんで下さい。MIDI音楽ながら、名曲を自分で選んで聴くことができます。 → シグマギター教室へ飛ぶ(←ここをクリックしてください) このページのトップに戻る |
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3:アンドレス・セゴビア、ハプニング!その後 2005.10.01 |
プロ魂!と深遠な処理! ギター音楽に限らず、どの楽器も演奏の向上を図るためには、人前で演奏することは避けては通れません。ギター教室に通うようになると、必ず定期演奏会が開かれ、大勢の面前で、スポットライトが当てられた一段高いところに着座して、誰の介添えもなく自力で演奏をしなければなりません。 その時の心境は、人それぞれ異なるでしょうが、特に合奏と違って独奏(独演?)する場合は、大人といえども緊張をするものです。極端な場合、演奏できなくなる場合もあるくらいです。 しかしなが、プロの演奏家ともなれば、人前で演奏することは当たり前なことです。無論、演奏前はプロなりに、演奏曲目に相応しいテンションを高めたりはするでしょうが、それは初心者の緊張とは異質なものだと言えます。ましてや、セゴビアともなれば、世界を股に掛けて大活躍したギター音楽界の大御所ですから、演奏回数と言い、リハーサルと言い、選曲の良さと言い、どれをとってもマイナーな点を発見することは困難です。従って、常識的にはハプニングが発生することは考えられません。 ところがあにはからんや、体を乗り出して聞き入っていた私達の眼前で、ドラマが起こってしまったのです。その時セゴビアは、大きな右手をサウンドホールに下げたまま、数秒間静かな時が経過しました。固唾をのんで見守っていた多くの聴衆は、彼の次の行動を注視せざるを得ませんでした。 ところが期待を裏切り、さりげなく曲の初めに戻って弾き始めたのです。本当に表情や態度の変化もほとんどなく、初めて演奏するかのようにつま弾くのです。これはプロとしての自覚の強い弾き手ほど当たり前の対処法です。決して慌てない、穏やかに対処する方法をデビュー前から幾度も訓練するものです。 例えば、弦が断線したときのために、サブギターを用意する奏者もいます。静かに舞台を去り、何事もなかったようにセカンドギターで演奏を続けます。ギターは生き物ですから色んなことが発生します。ハプニングは付き物と考えてステージに上がるのがプロとしての心構えです。老境に入っていたセゴビアは、トラブルの場数は数え切れないほど体験していたはずです。 セゴビアは、表情や態度を変えずに演奏をはじめました。そしてあろうことか、また同じところでストップしたのです。その時、彼がとった行動は、己の右手を左右に強く振りながら低く「ウー」と唸っていました。そして三度目、また初めから弾き始めました。またまたあろうことか、三度目もつっかえてしまいました。が、さすが場数を踏んだだけあって、さりげなく弾けないところをスキップして演奏を続け完奏?したのでした。 その後のプログラムは、ハプニングは起こらずに大喝采の鳴り響く中、彼は静かに会釈し、聴衆に応えていました。そして極めて静かにオックスフォード大学のセルドニアンシアターを後にしたのです。無論、スキップしたことのハプニングのお詫びはありませんでした。 セゴビアの失敗事例は、体験すれば分かることですが、自分が弾き込んだ曲を人前で演奏する場合、楽譜が無くとも左右の指と体が完全に慣れ親しんでいるため、曲想に相応しい感情を移入した演奏に没頭できるものです。従って、弾きはじめれば多少の音の乱れがあったとしても、よしんば途中でストップしたとしても、弾き直せばたいていは問題をクリアーできるものです。彼は、それができなかったわけですから、相当にしんどかったはずです。 今にして思えばその時が、彼の認知症の始まり?ではなかったかと思われます。その光景を目の当たりにしたのですから、ギター音楽に取り憑かれていた私の脳裏に鮮烈に焼き込まれない筈がありません。重ねて思うことは、人間は誰しも歳をとる、このあまりにも当たり前のことが、若い時は実感が掴めないし分からないのです。しかし、今古希を過ぎた自分は、老いを痛切に感じつつ、セゴビアに対して同情を禁じ得ません。その後にハプニングを起こさなかったこと、気持ちの切り替えが早かったことは立派でした。さて、皆さんは、セゴビアに対してどんな感想をお持ちでしょうか。 それからセゴビアがこの世を去ったのが1987年です。このハプニングが発生して12年後に亡くなったことになります。(完) このページのトップに戻る |
4:グラナダのギター制作者ヘルマン・ペレと、故・マニュエル・カーノとの出逢い 2006.02.26 | ||||
●休日を利用してスペインへ旅行しました。グラナダに滞在中、散歩がてらにぶらりと飛び込んだ、ギター制作者のヘルマン・ペレ工房でクラシックギターを調達したことが大きな想い出になりました。しかし、その大切なギターも湿度の高い日本に持ち帰ったとたんに、ギターの表面に「しわ」(写真・左下)が出きてしまいました。せっかくスペインから持ち帰ったのにこの有様で、痛恨の極みでした。日本に持って帰ることを承知して販売したのだから、湿度を勘案したギターを売るべきだったし、またそのことを自分自身も注意するべきでした。なにしろスペイン語ができなかった自分としては、全て英語で通しましたが、彼はほんの少ししか英語を理解しなかったように記憶しています。もしかしたらスペイン語で説明していたのかもしれませんが、今となっては水掛け論です。 しかし、彼のお陰でグラナダ滞在中に沢山の想い出を作ることが出来ました。その想い出があまりにも大きかったため、ギターに対する不満を帳消しにしたのでした。 (写真・右が、ヘルマン・ペレのクラシックギターとギターケースで、手前が私のお気に入りの、日本製BROEXのフラメンコギターです。購入価格以上の遠達力があります。) ●ギター制作者のヘルマンは、大変おおらかな人柄でした。その夜、自宅に招かれ、奥さんの手作りの夕食とワインをご馳走になりました。さらに、翌早朝、仕事を休んで彼のポンコツ車で、アルハンブラ宮殿の案内や、ギター研修のため滞在されていた、永井勝重ご夫妻宅への訪問をアレンジしたり、またグラナダに於ける、ギター制作者仲間の工房にも案内してくれました。工房内にたむろす世界から集まっていた若きギターリストの研修者5〜6名が、その工房で誕生したギターを代わる代わる弾いていました。 最後に、私にも何か奏でるようにリクエストがありました。照れながらも、「愛のロマンス(禁じられた遊びもどき)」のさわりを弾き、大喝采?を浴びました。お返しに、赤い服を着た女性のギターリストが練習曲を弾いてくれました。こうして和やかな一時を過ごしました。その工房の雰囲気のある写真を撮っていたのですが、探してみたものの、未だに発見できません。写真が無くても、今でもその工房の「あるじ」が、腕組みをしながら、楽しそうに様子を見ていた姿が思い浮かびます。 ●しかし、なぜ初対面の私に、仕事を休んでまで良くしてくれたのか未だに不明です。身振り手振りのコミュニケーションで、お互いの意志疎通が困難な中での出来事に今思っても不思議なことでした。 今手元にあるギターは、購入のため倉庫に案内され、沢山並んだギターの中から彼自身がこれが良いと言って薦めたギターでした。それをOKすると、サウンドホールの中にマジックでサインをしました。(写真・右下参照)そして永井ご夫妻宅まで車で運び、彼に数曲演奏を依頼しました。演奏後、ギターの感想を吐露させ、絶賛は得られなかったものの、こき下ろしもありませんでした。さらに、驚いたことには、マニュエル・カーノ宅へ遊びに行こうと誘われたことでした。幸い、当時ギター音楽をかなり勉強していましたから、マニュエル・カーノのことは多少知識がありました。永井ご夫婦ともども訪問することとなりました。 日本で言う高級マンション?に到着し、カーノご夫妻が出迎えられました。その部屋の片隅に広いガラス張りの陳列棚があり、そこに10本ほどの古典ギターが陳列してありました。通訳をして頂いたのは永井ご夫妻でしたが、カーノ自身も少し英語が理解できましたので、部分的な会話もできました。カーノ自身がギターを取り出して、私達にアルハンブラ宮殿の想い出を弾いてくれました。 あの流れるようなトレモロ演奏が甘美でした。演奏終了後、冗談半分で右手の爪を見せて貰いました。見た瞬間、私は驚嘆したのでした。その理由は、想像以上に爪の形が荒いのと、爪に傷があったことです。そんな爪の状態で、流れるようなトレモロ演奏と、艶やかな音色を弾き出せることが驚きでした。 ギターを少しかじったことがあれば分かることですが、なめらかなトレモロ演奏を行うには、弦に接触する爪は、1000番台以上の紙ヤスリできちんと凹凸無く磨かれているのが常識です。その常識が打ち破られたのでした。 私も、そのギターを拝借して、またまた18番の「愛のロマンス」を弾き、途中でアンドレス・セゴビア!と絶叫した時、爆笑の渦が巻き起こりました。いかに下手であったかの証明でもありました。しかし、和やかな楽しい一時でした。今となっては、あの世に行かなければ、カーノに会うことが出来ません。カーノは、クラシックギターと、フラメンコギターの分野でその才能を発揮したプロのギタリストだったと言うのが私の印象です。 また、彼は大変日本びいきなギターリストでした。病没後、彼の遺志により当時陳列されていた古典ギターの大半を含め、ギター文化館に寄贈(買い取り)されています。 以上の経過を通して言えることは、多少のビジネス的なリンクがあったのかもしれません。一連の想い出の源泉となった手配などは、ギター制作者のヘルマンの善意で行われたことは間違いありません。 カーノが、私のそばで生演奏をしてくれました。その時の写真です。十分すぎる施しでした。20代後半のギター音楽の想い出はこうして作られたのでした。 参考までに、彼の写真をここに掲げ、冥福をお祈りしたいと思います。(写真・右がカーノで、左が私です) ●自分が帰国して半年後、永井勝重さんから、スペイン発の下のような便り(写真)が届きました。 それによると、長男が誕生したので、親に顔を見せたいため、スペインからスイスへ数ヶ月滞在して日本に帰るとの話でした。日本で再会したい希望が伝えられました。しかし、私が住まいを移したためと、日本の住所の記載もれがあったため、その後の連絡が途絶えています。日本のギター界で彼が活躍しているのか否かは定かではありません。ただ、ウエブの検索では、テキスト文として、お一人同姓同名のギター関係者を発見していますが、サイトのアップはありませんし、連絡に必要な情報がアップされていません。 どなたか、ご存じであればお教え頂ければ幸いです。(追記:2006年12月に再会が実現できました。関係者に感謝致します。) このページのトップに戻る |
5:ギター文化館・訪問記 2006.09.30 | |||||||||||||||||
1 9月19日の午後、一般道で茨城県八郷町にある「ギター文化館」へ向かいました。片道約150キロもありましたので、途中「たまつくり」道の駅に車中泊しました。翌20日午前10時過ぎに、念願であったギター文化館を訪問することができました。(写真1) 2 実際は、もっと早く訪問する予定でしたが、自宅のメインパソコンが、過日の落雷による停電で壊れてしまいました。自分のパソコンは大丈夫だと思っていたのにやられました。そのため、雷ガードと、無停電装置の導入をしました。その復旧作業と、無停電装置の導入に追われたため、大幅に遅れた訪問となりました。それだけに、膨らむ期待は大きいものでした。 3 周囲の環境は、驚くほど静かです。見渡す限り豊かな自然に恵まれた騒音ゼロの環境でした。(写真2) 4 入館料は300円ですが、本格コーヒーか紅茶が提供されますから、ただ同然と言えます。入館直後に訪問の目的を代表の木下明男さんにお話ししましたところ、さっそくマニュエル・カーノコレクションルームに案内され、今までの経過など懇切丁寧にご教示頂きました。(写真3〜6) 5 1本のギターを除く、その他の全てを買い取られ、現在のカーノ・コレクションが成り立っていることが分かりました。しかも、その収集されたギターは、プロのギターリストの選択により、実際に同館内で行われるコンサートで使われているとのことでした。制作年代や、制作者の異なるギターの音色の違いを存分に味わえる良さは、ギター愛好者にとっては最高の喜びだと思います。 6 なお、コレクションギターの修理など維持管理には、ギター制作専門家の協力体制が確立され、警備関係にも力を入れられているとの説明に納得が行きました。 7 とにかく、周囲が豊かな自然環境に恵まれていることと、来館者が自由につま弾けるギターが多く用意されていることは大変良いことです。それらのギターは、同館で開催している「ギター製作コース」で製作されたギターです。ギターを弾いて楽しむばかりでなく、自分で製作する喜びと、それを弾いて楽しむ道も確保されています。 8 次回は是非、名器によるギター演奏会を聴きに出向きたいものだと思いました。 9 長時間にわたる写真撮影と、気持ちよく情報提供と懇談の時間を割いて頂きました。心から御礼を申し上げます。代表ご夫婦に見送られながら、惜しみつつも会館を後にしました。 このページのトップに戻る |
●下の画像をクリックすると拡大で見ることができます。 なお、「ギター文化館」のサイトをご覧になりたい方は、ここをクリックしてご覧ください。
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6:ギターリスト永井さんと、32年ぶりの再会が実現、グラナダが蘇る! 2006.12.01 | |||||||||||||||||
上記、ギター文化館の木下館長さんと、ギターリストの吉川二郎さんのお二方のご協力により、永井さんと32年ぶりの再会が実現することとなりました。この場をお借りし、御礼を申し上げる次第です。以下は、永井さんと再会した当日のメモです。 |
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●【ダイヤモンド製・ネイルペーパー】 |
●【ファミリーレストランで記念撮影】 |
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これを見せていただいた時は、正直驚きました。なぜならば、爪の手入れ道具にダイヤモンドを使う発想が自分になかったからです。これは、永井さんがスペインで調達した愛用のギターのためのネイルペーパーです。ご本人の説明によりますと、表面には細やかなダイヤモンドがちりばめてあるとのことでした。さっそく手にして触わらせてもらいました。わずかながら、それらしき感触が伝わってきました。自宅のパソコンで1000万画素のファイルを拡大すると、ネールペーパーの約3/5にダイヤモンドがまんべんなく散布?されているのがかすかに確認できました。生涯、または幾代に渡っても使用が可能な絶品だと思いました。残念ながら、調達価格を聞きそびれてしまいました。 因みに、過日NHKのスタジオパークに出演していたギターリストの村治佳織さんは、紙ヤスリ2000番を使用中と語っていました。 なお、当日は、わざわざグラナダ滞在中に撮影した写真アルバムをお持ちいただき、色々見せてもらいました。見入るたびにお互い大変若かったなーと、感想の連発でした。 現在は、指の不具合があるものの、日々快復に向かってきたので、少しづつ演奏活動を始めておられるそうです。日に7〜8時間の練習をしておられたこともあったそうです。が、しびれの発症の経験を通して、練習方法も色々工夫されたようです。今後の本格的な活動を楽しみにしています。 |
店員さんにお願いしてシャッターを切ってもらいました。テーブルに、ワインの小瓶を増やしながら飲み干すほどに、グラナダでの思い出が繰り出されました。 上記4で紹介した、グラナダのギター制作者のヘルマン・ペレさんとは、家族同然のお付き合いをされていたそうで、彼が大変明るい性格であったことや、ギター制作の腕はいいが、多少性質にむらがあった制作者で、調子がいいと立派なギターを作るとの話が印象に残りました。 帰国後、人差し指にしびれが出て演奏活動が困難となられたことや、グラナダで誕生した子供さんのことは、同じ子供を持つ父親として話題を共有することができました。しかしながら、最愛の奥さんを病気で亡くされたことを聞いた時は、大きなショックを受けました。若き日の奥様の姿をアルバムの写真を見ながらご冥福をお祈りをいたしました。 ギターリストにとって人差し指は、金の指と言われているように最も大切な指です。それが動かないと言う話を聞いた時、小生はショックを受けるだけですが、永井さんにとっては死活問題だったと容易に想像できました。今では、色んな治療を通した結果、ヨガ療法が一番効果が高いとのことで、それを導入されていました。 そういえば、村治佳織さんも、コンサート直前に突然指が動かなくなりコンサートを長期間中止せざるを得なかったと、NHKのスタジオパークで語っていました。 このページのトップに戻る |
7:吉川二郎さんのギター音楽サロン 2007.01.01 | ||||
32年ぶりに、ギターリストの永井勝重さんとの再会にご尽力をいただいたプロのギタリストである吉川さんのギター音楽を過日堪能する機会がありました。雨がそぼ降る中、「横浜にぎわい座」でのコンサートでしたが、予想を超える入場者がありました。プログラムの構成も、高村光太郎の「智恵子抄」の朗読を加味したり、吉川さんのオリジナル曲をちりばめる等、大変立派な構成で、来場者に対するサービス精神に感服しました。我が家で愛用するオーディオで聴く音楽と異なり、圧倒的な臨場感の生のギター音楽を心ゆくまで楽しみました。 なお、会場で、ギター文化館代表の木下明男さんご夫婦にも再会することができました。 このページのトップに戻る
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8:村治昇ギター教室の想い出(予定) | ||||
ページ履歴: 2005.07.31、08.31、10.01、11.01、2006.01.21、02.26、09.30、12.01、2007.01.01、02.25、06.30、09.01、11.01、2008.04.25、06.18、10.31、11.22、2015.10.30/2016.12.18/、 | ||||
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